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​  小説 火垂るの墓 誕生の地 記念碑 除幕式会場

​ 2017年12月、戦争の悲惨さを後世に伝え平和を末永く祈念する方々の支援を得るべく、火垂るの墓記念碑建碑委員会を8名で発足させ宣伝、関係機関との調整と打ち合わせ、そして募金活動を地道に活動することにより記念碑建立の目標額を達成し本年5月に記念碑建設工事が完成いたしました。

 小説火垂るの墓 誕生の地記念碑除幕式は、2020年6月7日13時30分西宮震災記念碑公園の特設会場に於て満池谷町の武田真由美さんが司会を担当され開催されました。

 記念碑建立のため御支持を頂きました。本来ならば、本日の記念すべき除幕式には多くの方にご参加頂き開催する予定でございましたが、本年一月末からの新型コロナウイルス感染症蔓延のためご案内は差し控えさせて頂きましたことをご了承ください。深くお詫び申し上げます。

 野外ですが新型コロナウイルス感染防止対策の基本的対応実施事項の対策はとらせて頂きますので皆様のご協力をお願い申し上げます。

 と司会者から事前に説明があった。

 75年前の6月7日は、当時14歳の野坂昭如さんが6月5日神戸市灘区中郷町の自宅で米軍の大空襲により自宅が全焼し父は行方不明、母は火災で大火傷を負ったため付き添いで西宮回生病院に入院後、妹と西宮満池谷の親戚の家にお世話になった日です。

 この戦時の経験から、戦争の悲惨さと恒久平和を願うため多くの思い出を結集して、小説「火垂るの墓」が完成しました。と作品の歴史を語られ、只今から「小説火垂るの墓誕生の地記念碑建碑委員会代表土屋純男から除幕式の開催挨拶を申し上げます。と紹介後、次の通り挨拶された。

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   13時30分 除幕式の開会挨拶をされる土屋純男代表  

「火垂るの墓」原点の調査と記念碑建立

                                    6月7日

 

1967(昭和42)年 野坂昭如さんの戦争体験を踏まえた、小説「火垂るの墓」が発表されました。

何と戦後22年が過ぎていました。その数年後に、私は西宮満池谷町に住むようになりました。

  それからさらに、20年の時が流れ、1988(昭和63)年、戦後42年を経てアニメ映画が製作されました。これは関係者の方々の戦争体験を風化させまいとする取り組みでもありました。

 テレビで放映されるのを子供たちと観て、映像の中の風景がすべて近隣の風景をアニメ化したもので、あの階段だ、あの家だ、ニテコ池と親しみを持って、主人公「清太と節子」の運命に引き込まれ、涙しました。

 1995年1月17日阪神大震災が起き、満池谷の私の家の周辺は8割の家が全壊となりました。

震災から3年が過ぎたころ、家の建たない空き地が近くにあり、戦前から満池谷に住んでいる人から「あの空き地に野坂昭如さんがいた」と聞きました。その時、私の記憶から遠のいていた

「火垂るの墓」を思い出し、空地に記念館か記念碑があればいいなと、瞬時に思ったのです。

しかし、毎年8月ごろに放映されていたアニメ映画があまり放映されなくなったと思っていた時、家の前を通りかかった男性にどちらかお探しですか?というと「火垂るの墓」に出てくる防空壕を探していると返事がありました。

 その方は歴史の先生でした。野坂昭如が世話になった「おばさんの家跡」に案内しました。

しかし、その場所は私がたった一人の方から聞いた事で、歴史の先生に間違ったことを教えてはいけないと思い、後世の検証に耐える調査を、長年住んでいる私が今調べておかなくてはと、考え調査を始めることになったのです。

 野坂昭如さんが、高畑勲監督と美術監督の山本二三さんと西宮を訪れた時、おばさんの家に近づこうとせず、高台の道から「あのあたり」と指さし”これ以上は怖くて行けない”と話したということを私は聞いていました。このようなことから野坂さんが明らかにしなかった場所の特定と、

世話になったおばさんの家の調査に引き込まれてしまいました。

 野坂さんは2015年12月9日に85歳で13年間の闘病を経てお亡くなりになりましたが、その4か月前の「朝日新聞」阪神版に投稿された記事を私は切り取って持っていました。(小冊子に入れております)

 2016年の暑い夏でした。野坂さんの一周忌までに「小説の原点の地」と小説のモデルとなった高瀬家(実際は井上家)について詳しく知りたいと思い、調査を続けました。

「おばさん」の子供の1男4女はすでに全員他界されていましたが、お孫さんを探してお話をうかがい、小説に出てくる「当時17歳神戸女学院の5年生律子」は3女で野坂少年の1歳2か月の妹の面倒を見た方でした。

 おばさんは、小説の主人公、清太と妹節子につらくあたり、意地悪な人との印象を持っている方が多くおられます。私は戦時中の日本のどこにでもあったであろう情景を野坂昭如さんが、繊細な感性で小説に書いたものだと思います。おばさんの写真を頂きました。名前は「井上アイ」さんです。とても美しい方です。野坂さんは、おばさんの3女の葬儀の時、井上家の親族を前に「僕は叔母さんのことを悪く書き過ぎました。申し訳ない」と詫びたそうです。

二女の方は「あんなにやさしい母だったのに」と怒りを表したそうですが、野坂さんを「アキちゃん」と言って話が弾んだそうです。

そのとき、井上家をモデルにして、「阪神4姉妹という小説を書きたい」とお話しされたそうです。

遺稿がないかな‥と思いましたが、その数年後に、野坂さんは病気になりましたので、お書きになれなかったと思います。

「火垂るの墓」記念碑建立は、戦後75年の6月(野坂少年14歳8ケ月が神戸の爆撃に会い満池谷に来た時)に決めて活動して参りました。(まさに今日の除幕式でございます。)ここに記念碑は完成いたしました。

 この度の記念碑の建立は、戦争により引き起こされた不条理を忘れることなく、後世の子供たちに伝え、戦争のない平和を祈念していくため、小説の誕生の地に、記憶の継承と共に野坂文学を顕彰するものです。あと5年もたったら戦争体験者はほとんどいなくなります。

 募金の問い合わせ電話に、戦争の体験を語られる方が多く、しばしば涙を流しました。多くの方々に御協力を頂き有難うございました。

また、記念碑建立に御同意いただきました野坂暘子様、新潮社様、用地を提供いただきました西宮市、建設工事をされた石材店様、資材工事関係者の方々に感謝申し上げます。

 野坂昭如さん、あなたの言葉「戦争は悲しみだけが残るんだ」。あなたの「お心の灯火」は記念碑となり、西宮の地に末永く残ります。

野坂さん、素晴らしい文学作品をこの地に残して頂き、心より感謝申し上げます。

戦後75年の時を経て、なお戦争の悲惨さを語り継ぎ、現在と未来の子どもたちへの恒久平和を祈念します。

 記念碑建立に際し、ご寄付の御協力を頂きました多くの方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

続いて、ご来賓を代表いたしまして来賓挨拶は、作家であり編集者でもある日本大学芸術学部研究所教授 村上 玄一氏お願い申し上げます。村上様は 野坂昭如研究家として著名な文学者です。と紹介後に、挨拶に立たれた。

     来賓挨拶  村上 玄一氏

 東京から参りました村上玄一です。正直に申し上げますと、此の様な立派な、火垂るの墓記念碑が建立されているとは想像すらしていませんでした。

 この記念碑は、地元の皆様方、そして記念碑委員会の方々の多大なご尽力の成果であると感じています。拝見させて頂き嬉しさは倍増いたしました。

 野坂昭如の作品は、高校生の頃から愛読しています。その後、卒論で野坂昭如論をこの分野でははじめての作品を創作しました。大学卒業後、出版社に入社し編集者として勤務し野坂昭如の担当となりお手伝いもさせて頂きましたので、この度は本当に嬉しくてなりません。

​ さて、お知らせですが、来月22日に中央公論社から野坂昭如の新作文庫本ですが「終戦日記と僕」が発刊されます。この書は、野坂昭如の戦争体験、戦後の日本社会の実態を描きどのように生きて来たかを書き下ろされています。巻末の解説は、私が「野坂昭如における責任のとり方」と題して私が書いています。野坂昭如をより理解して頂くために小説火垂るの墓とともに是非お読み頂きたく思います。

 此の地へ、日本各地からそして世界からも訪れられる方がおられることでしよう。戦争のない世界、戦争の悲惨さ、虚しさをより深く知って頂きたいと思っています。

​ 地元の皆様、そして記念碑委員会の皆様にお願いしたいことがあります。本日ご披露された小説蛍の墓誕生の地記念碑を末長く見守って頂きますようにお願い申し上げます。

 本日は、除幕式にご招待頂き誠にありがとうございました。

​ と挨拶された。

​野坂暘子氏のメッセージが司会者により代読されました。

 新型コロナウイルス感染症蔓延のため東京在住のため外出規制があり、お礼と欠席させて頂いたお詫びです。除幕式には代読をお願いいたします。

 旨のご挨拶の説明後に故野坂昭如氏の奥様野坂暘子様から寄せられたメッセーシが司会担当の方から代読されました。

​ 満池谷の蛍は、夏草の中に、今も宿っていることでしようか、また六月が巡ってきました。野坂は、ぼくが浮浪児になった日と言っていました。

 神戸の方々や同世代の方々には思いのこもる月かと・・・・・

 折々に彼の口からポツリポツリと聞かされた「戦争」少年の心に重く刻まれた悲しみの思い出ばなしがよみがえります。

 この度の、「火垂るの墓」の記念碑は建立は夢のようです。戦争をしてはならない、戦争は悲しみだけを残す。野坂のメッセージが世界中に届きますように。

 小説家野坂昭如は、皆さまの大きな力と、あたたかい心が刻まれた素晴らしい文学碑を

いただきました。最高の喜びと思います。

 皆様の多々の御苦労に厚く感謝申し上げ、嬉しく!うれしく!心より御礼申し上げます。

                               野坂 暘子

祝電の披露 司会者から頂いた祝電が読みあげられ紹介さました

西宮市長  石井 登志郎氏

大社青少年愛護協議会会長 松村 すみ江氏

NPO法人シャクナゲ子供の会どっと会一同氏 

除幕式が施行され、式典に参加される方が詳しく紹介されました。

主碑 左 土屋 純男氏 村上 玄一氏 白井 浩一氏 西尾 寛実氏

副碑 右 山内 英正氏 伊藤 敦子氏 松村 すみ江氏

   左 長井 道延氏 谷本 俊和氏 近藤 三子氏 

 

 以上10名の方が除幕式の式典を担当されました。 

​除幕式に参列される関係者

​記念碑除幕式式展

​記念碑 除幕式式典

​ 除幕式 式展

​ 記念碑実行委員会各氏の紹介

除幕式を終えて、来賓の方々と委員会委員、会場担当の方々との記念撮影。来賓として神戸成徳小学校の同級生近藤三子さん(89)が尼崎市から参加され、火垂るの墓文学日が建立されたことを喜ばれていました。

​記念碑委員会委員と関係者記念撮影

​火垂るの墓記念碑除幕式閉会挨拶  代表 土屋 純男

小説火垂の墓誕生の地記念碑は、小説火垂の墓誕生の地、西宮満池谷に戦後75年の刻みの2020年に戦争の記憶の継承と野坂文学を継承するものです。野坂暘子様、新潮社様用地提供の決定を頂いた西宮市、建立工事を担当頂いた中原石材工業所陶板画を製作されました有限会社イトマサそして多くの関係者そして貴重な基金を寄せて頂いた会社、団体の皆様そして多くの個人の方々の平和を願う思いの賜物です。ご協力ありがとうございました。

除幕式には、多くの市民の皆様がご参加頂きましたことに厚く御礼申し上げます。

除幕式の写真を添付いたします。西宮をご訪問の際にははぜひご見学くださいますようお願い申し上げます。​

​除幕式に参加される市民の皆様

​記念碑の背後には紫陽花、ゼラニュウム等を植えました。

火垂るの墓記念碑建立整地工事施行 2020年2月28日、6月の除幕式に向けての火垂るの墓記念碑の工事がはじまりました。

花見の時期を外して基礎工事を先行実施し、5月12日に本格工事を行います全て設置を終え3月15日アンネのバラ教会から寄贈して頂きましたばらの苗3本を記念碑予定地の脇に植えました。バラは5月12日の工事日に17日には10輪の花で記念碑を祝福しています。開花し除幕式には美しい花を咲かせてくれるでしょう。

 

火垂るの墓記念碑原石加工のため西宮より高知へ移送 2020.03.25

火垂るの墓記念碑建立整地工事施行並びに火垂るの墓記念碑原石加工移送の概況については​リンクページに掲載していますYouTube画像をご覧下さい。

2020年5月12日西宮震災記念公園に午前7時には、大型クレーン車2台そして石碑と工事用資材を積載した大型トラックが3台到着後、工事用の整理作業後台座となる書籍をイメージした御影石と、作者野坂昭如を紹介する写真銘板と野坂昭如の戦後体験の写真銘板等がクレーン車により設置場所に取り降ろし、小説火垂るの墓誕生の地の文学碑建立工事が開始されました。

その後、小説火垂るの墓誕生の地の銘文と金属製の写真銘板が取り付けられた5トンの御影石(サクラ御影)の主碑が大型クレーンで台座に大寧に据えられて12時30分過ぎに設置が管理完了しました。

​その工事の状況を画像により掲載いたしました。

完成した小説火垂るの墓誕生池の地記念碑  火垂るの墓記念碑実行委員会 

                            2020.05.12

副碑 野坂昭如作品

​副碑 野坂昭如の戦争体験

                     

火垂るの墓記念碑工事が竣工しました。

5月14日に現地での設置工事が終わり6月7日の除幕式を待つことになりました。

しかしながら新型コロナウイルス感染症蔓延による行動じしゅくなどから困難となり延期もままならず6月7日13時から30分間関係者のみで除幕式を行うことになりました。

 記念碑は御影石を使用し主碑はサクラ御影、周囲は丹波鉄平石、台座は2冊の本をイメージし文学碑の雰囲気を出しました。周囲には「アンネのバラ」を植え、戦争に翻弄された「清太と節子」の癒しにと添えました。

また、思いがけなく高額の賛同者のご協力を頂き、野坂昭如氏の作品の力に依るものと深く感謝しています。

                       代表 土屋 純男

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