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 野坂昭如著 小説 火垂るの墓 文学碑建立


  野坂昭如氏の代表作、「火垂るの墓」誕生の地の文学記念碑が完成し2020年6月7日13時30分から西宮震災記念公園で開催されました。火垂るの墓記念碑建実行委員会委員をはじめ来賓として野坂昭如氏研究者である日本大学芸術学部研究所教授村上玄一氏、野坂昭如氏と神戸成徳小学校の同級生近藤三子さん(93)をはじめ在阪のテレビ局のクルーそして新聞記者地元西宮のメディア関係者そして市民の方々100名近くの出席者となった。
  小説「火垂るの墓」は、6月5日の神戸の空襲で母親を亡くし兄と妹が西宮満池谷で52日間暮らした様子が描かれている。地元満池谷町に住む方々が結成した実行委員会が2019年夏から寄付金を募り1,440名の方から7,907,277円の寄付金が寄せられこの日に建設されした。
実行委員会では、西宮市において始めての文学碑である「小説火垂るの墓」記念碑を通して、戦争の悲惨さを若い世代に伝えて行きたいと願っています。

​除幕式会場風景

火垂るの墓記念碑募金

ご協力のお礼と記念碑建立のお知らせ

 

 拝啓、時下皆様には大変な時期をお過ごしのことと存じあげます。

さて 私どもは「火垂るの墓記念碑実行委員会」でございます。「火垂るの墓」記念碑文学碑建立について、昨年(2019年)7月に建設資金のお願いを報道機関各紙に発表し、記念碑の建立は戦後75年の2020年6月をめざし、活動を続けてまいりました。

 小説「火垂るの墓」を知らない世代も増え、募金活動は困難を極めましたが、戦争体験者、アニメ映画を観た世代、各種団体、地域社会など多くの方々に御賛同を頂き募金は当初の目標額を達成いたしました。

 記念碑の設置工事は5月16日に完成し、6月7日の除幕式を待つことになりました。しかしながら新型コロナウイルス感染症蔓延による行動自粛等等から、通常の除幕式を開催することが困難となり、延期もままならないことから、除幕式は6月7日13時30分から行うことといたしました。(今後、本格的な式典等は考えていません。)

 募金に協力して頂き除幕式を楽しみになされていた方々には大変申し訳なく思います。お詫び申し上げます。

 除幕式に先立ち、冊子 小説「火垂るの墓」誕生が完成いたしました。皆様のお手元にお届けさせて頂きます。

 小説「火垂るの墓」の社会に訴えるものと、戦争に原点を持つ野坂昭如さんに思いを寄せて頂きたいと存じます。是非記念碑を観にお出で下さい。

 多くの方の御協力に心より感謝申し上げます。

                              敬具

 

                        2020年5月20日

                      火垂るの墓記念碑建碑実行委員会

                          代表 土屋 純男

  皆様方の平和への思いが結集し記念碑が建立されました。深く感謝申し上げます。

火垂るの墓委員会へ御寄付、募金を頂いた方々のご芳名、建碑に関わるご寄贈を頂いた方々、賛同された方々をここにご紹介させて頂きます。(2020年7月1日修正版)

​完成した、小説火垂の墓 誕生の地 記念碑 除幕式後の記念碑

​2020年5月20日に小説火垂の墓記念碑に基金を寄せられ皆様にお送りいたました小説火垂るの墓誕生の地記念碑建立報告書にご協力者の記載漏れ、誤字脱字がありましたので修正版を2020年7月1日にお送りさせて頂きました。大変ご迷惑をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げます。 

小説火垂るの墓誕生の池 記念碑 竣工報告 火垂るの墓記念碑実行委員会 2020.05.14

小説火垂るの墓誕生の地記念碑は、西宮市奥畑町5の西宮震災記念碑公園の一角に建立されています。阪急苦楽園口駅下車東へ約1500メートル徒歩15分の位置です。

公園内には、大震災を後世に伝えるために建てられた記念碑があり、そこには亡くなられた西宮市民の名前が刻まれ、震災の被害が克明に記されています。桜の名所「満池谷」の中心にあります。

​阪急苦楽園口駅

2020年6月7日「火垂るの墓」記念碑の除幕式を行いました。

新型コロナウイルスの渦中、関係者のみによる式を計画していましたが近隣の方など約100名の方がお越しいただき除幕を祝っていただきました。

野坂昭如氏の小学校の同級生のご夫人も駆けつけてくださり、副碑(野坂昭如肖像)

の除幕をしていただきました。

実行委員会では小冊子『小説「火垂るの墓」誕生の地』を発行し、建碑にご協力いただいた方にお配りしました。

記念碑には御影石を使用し主碑はサクラ御影、周囲は丹波鉄平石台座は2冊の本をイメージし文学碑の雰囲気を出しました。周辺には「アンネのバラ」を植え、戦争に翻弄された「清太と節子」に癒しを添えました。思いがけなく高額の賛同者のご協力を頂き、野坂氏の作品の力に依るものと感謝しています。

ご寄付は継続しております。よろしくお願い致します。

西宮記念碑公園そして満池谷を訪問され小説火垂るの墓誕生の地を訪れられた際、ニテコ池上池近くの中谷石材工業所立ち寄って頂きお預かりして頂いています「火垂るの墓記念碑建立の趣意書と振替用紙」お受け取りくださいまして是非活動基金を寄贈して頂きますようにお願い申し上げます。

                               土屋純男

              火垂るの墓 記念碑建碑完成予想図

計画する記念碑は御影石で作られ本を2冊重ねたような土台部分が特徴高さは2,2メートル、碑には小説の「誕生の地」と刻む。両脇に野坂さんの戦争体験や小説を小説を紹介する碑も置く予定です。​

 誕生の地の碑は、西宮市犠牲者追悼の碑の裏側となります。

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2019年10月28日 地域コミュニティの催しにおいて、『「火垂るの墓」の朗読劇及び講演』がありました。多くの参加者は改めて戦争の悲惨さと平和のありがたさを感じました。                写真:講演の様子(講師 土屋純男)

火垂るの墓記念碑建立委員会のメンバーをご紹介します。皆さまよろしくお願い致します。

11月23日に火垂るの墓ゆかりの地歩く会を開催しました。その様子を神戸新聞の記事に取り上げて頂きました。

当日約40名様にご参加頂きました。皆さま思い思いの会話をされて楽しんでおられました。

次回の開催は未定ですが、見かけたら是非ご参加ください。

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​西宮震災記念碑公園六甲の山々

ニテコ池上池

​ニテコ池 中池

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​ニテコ池 下池

​ニテコ池下池堤防より満池谷町

​野坂昭如が神戸から疎開した親類宅のモデルとなった未亡人の家跡。(小説では高瀬家)

土屋純男氏二宮一郎氏の参考資料参照

野坂昭如が神戸から疎開した親類宅のモデルとなった未亡人の家跡。

​満池谷町

野坂昭如の満地谷の思い出

野坂昭如と妹が逃げ込んだ横穴壕跡付近。コンクリートで固めた横穴壕。現在は住宅隣にガレージが造られている。

小説の高瀬家の西側の崖に、神戸市の古い金庫メーカーの住まいがあり、コンクリートで固めた横穴壕を造り、そのまます家族は疎開、空いていた。(ひとでなし 野坂昭如 1997年)

近畿管区情報で敵機の接近を告げるたびに時をかまわず入った。「僕は普通の壕などてんから信用できず丘陵の斜面を利用した横穴に飛込み・・・・・・」(ひとでなし1977年)

 

​ニテコ池の防空壕跡付近

身を寄せた親類宅の三畳の間を出て、
「あんなあ。ここお家にしようか。この横穴だったら誰もけえへんし、節子と2人だけで好きにできるよ」とかねて考えていた、ニテコ下池の堤防を下った城山の直ぐ近くの、西から東向きに掘られた二つの横穴式の防空壕に住み込んだ。(満池谷町9-16番地)
横穴式の防空壕が掘られていた跡地。​野坂昭如と1945年 6月頃から時々見かけたと清水考一氏の証言等による。

ニテコ池の防空壕のことはいぜんから知っていました。一つではなく二つだったと思います。
土砂崩れを防ぐために5メートルの間隔をおいていました。西側から東の方へ向いて掘っていました。この防空壕がつながっているのかどうかは確かめていないのですけれども、もしかしたらつながっていたのかもしれないですね。
そのうちの一つに野坂昭如さんと小っちゃい女の子がおりましたのですね。そこにいつから住みはじめたのかはわかりませんけれども・・・・・
と。
​西宮市清水町在住の故清水孝一氏は、野坂昭如氏と妹が過ごした満池谷町町で邂逅した戦中の思い出を語られている。

​          火垂るの墓文学碑建設資金 募金のお願い

 募金の賛同者はまだまだ不足しております。日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞そして神戸新聞、新潟日報の新聞各社で報道されました。
 ネット関連では、インターネット、ユーチューブ、フェィスブック等でのネットの拡散も他府県への広がりは少ないようです。火垂るの墓記念碑実行委員会では、昨年9月19日に満池谷町の地域の集会で、火垂るの墓文学碑建碑の趣旨と基金のための寄付金のご協力をお願いしてご支援を頂きました。さらには昨年10月28日西宮市の地域コミュニティの「火垂るの墓」の朗読と講演がありました催しで代表土屋 純男が、満池谷に火垂るの墓文学碑建立の趣旨と寄付金の協力をお願いいたしました。
 さらには満池谷町近隣の方々に火垂るの墓記念碑建碑に関する委員会での決定した案内文書を約6.000部配布致しました。その結果、思いがけなく高額の賛同者のご協力を頂き、野坂氏の作品の力に依るものと感謝しています。
 11月23日には、「火垂るの墓」ゆかりの地を歩くイベントを開催し40名の方と散策し寄付金の協力をお願いしています。今後も開催する予定です。その際は是非ご出席下さいますようお願い申し上げます。
 火垂るの墓記念碑実行委員会は地道に活動を行っています。このページを読まれた市内の会社関係者の皆様そして全国の読書家の皆様からご支援を頂きたくお願い申し上げます。

さらに皆さまのご協力を頂きたくご寄付をお願いしています。

 つきましては、下記よりお願い致します。

ゆうちょ銀行から振り込みを頂く場合、所定の振込取扱票によりお願いします。この場合振込手数料はかかりません。
 ゆうちょ銀行 口座記号番号 00930-4-334241

ゆうちょ銀行から「振込取扱票」を使わず振込みをいただく場合
 ゆうちょ銀行【記号】14310 【番号】88078281
       【口座名】ホタルノハカイインカイ
 この場合、振込手数料の負担をお願いいたします。

ゆうちょ銀行以外の金融機関から振り込みを頂く場合、下記の口座へお願いします。
この場合、振込手数料の負担をお願いします。
 ゆうちょ銀行
 支店名 四三八(ヨンサンハチ)
 番号 8807828
 口座名 ホタルノハカイインカイ

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 火垂るの墓は、作家野坂昭如氏が少年時代神戸で戦火に会い、西宮市満池谷町の親類宅で1歳2ヶ月の妹と過ごした52日間の体験を基にした描かれた文学作品で創作作品です。
​ 高畑勲監督によるアニメ映画ではニテコ池の水辺が原画のモデルとなり広く知られるようになって多くの人に感銘を与え続けています。
 野坂氏は世話になったおばさんの家や、逃げ込んだ防空壕の場所などアニメ関係者に「あのあたり」と指さされたが多くを語ろうとはしませんでした。
 野坂氏の死後(2015年12月9日)、満池谷町在住の土屋純男氏と川東町在住の郷土史研究家二宮一郎氏が調査を続け、おばさんの家および利用した土の防空壕とコンクリートで固められた防空壕の二箇所の跡地の場所を特定しました。
 このことが新聞に取材され野坂氏の一周忌を前に朝日新聞(2016年12月2日)社会面(全国版)で報道され地域の話題となりました。また新聞を手にニテコ池周辺を訪ねる人もありました。
  その後、火垂るの墓記念碑建立に向けた活動が起き、地元有志、文学研究者、元教師が「火垂るの墓記念碑建碑実行委員会」を2017年3月に発足させ今日に至っています。
 この間、西宮市から記念碑設置場所として震災記念公園の一角を貸与されることが決まり記念碑設置が可能となりました。
 戦後75年となる来年(2020年)6月(野坂昭如氏が西宮に来た月)に完成を目指し、痛ましい戦争から生まれた文学を顕彰し、地域の文学を後世に語り継いで行きたいと思います。この記念碑ができますと、西宮市の認可による公園に設置される最初の文学碑となります。
 現在、記念碑建碑に向けて広く募金活動を行っているところです。

   あなたの思いを記念碑に!!
              みなさまのご支援、ご協力をお願いいたします。

                                 お問い合わせ
            「火垂るの墓」記念碑建碑実行委員会
             代   表  土屋 純男 西宮市満池谷町   tel 0797-73-1853
                事務局  二宮  一郎                             tel 090-3924-2468 
    「火垂るの墓」記念碑建立:2020年6月頃 西宮市震災記念碑公園内
  ・募金
     個人 一口1,000円
     団体 一口10,000円
振込先   
・ゆうちょ銀行から所定の「振込取扱票」よりお願いします。この場合振込料がかかりません。委員会までご連絡下さい。
 ・ゆうちょ銀行  口座記号番号  00930-4-334241
 ・ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振り込みを頂く場合、下記の口 
       座 へお願いします。
  この場合、振込手数料の負担をお願いします。
 ・ゆうちょ銀行【支店名】四三八(ヨンサンハチ)【預金種別】普通預金
  【口座番号】8807828 【口座名】ホタルノハカイインカイ

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